ムンクとルーベンスが使ったオートメーション

入門/解説

1.ムンクとルーベンスが使ったオートメーションまとめ

・ムンクとルーベンスは芸術に対する姿勢も仕事に対する姿勢も対照的であった
・ムンクとルーベンスも自らの作品に自分の手を動かさないオートメーション化を導入していた
・ムンクがカメラと向き合った姿勢はAIアートの世界でも参考になるかもしれない

2.カメラに対するムンクの姿勢

ムンク展、昨日に増して一日中混雑しており、話題の「叫び」はドライブスルー方式とでもいうのだろうか、「前の人に続いてください」「ペースを乱さないでください」「前の人に続いてください」「ペースを乱さないでください」と大声で両サイドから猛連呼される中を速足で(何故なら気の弱い人が急かされて速足で通り抜けるから普通に歩こうとすると「ペースを乱す」不届き者扱いされる)通り抜けざるを得ず、鑑賞もへったくれもなかったが、どちらも上野公園にある東京都美術館の「ムンク展―共鳴する魂の叫び」と国立西洋美術館の「ルーベンス展―バロックの誕生」も半日かけて鑑賞してきて頭がオーバーヒート気味。

たまたまなのだけれども、ムンクとルーベンスはとても対照的だった。例えば「セネカの死」と言うルーベンスの大作は顔の部分だけルーベンスが描いて後は工房、つまり弟子達が書いた絵であるとの事。こういう話を読むと芸術というより商業主義的な感じがしてきてしまうのだけれども、ルーベンスくらいのマルチで多忙な人であれば納期を守るために人に任せざるを得ない時もあっただろうから、仕事に対して真摯で真面目な人であったのかもしれない。


ピーテル・パウル・ルーベンス 「セネカの死」

それに対して、ムンクはパトロンから子供部屋に飾る絵と依頼を受けて書いた絵がパトロンから受け取りを断られた逸話があり、お前、絶対依頼主の意向をガン無視して自分の書きたい絵を描いただろう!と一緒に仕事をしたくないタイプの人だったのはほぼ確実。


エドヴァルド・ムンク「リンデ博士の4人の息子」
wikipediaよりパトロンの意向「どうか子供にぴったりのモティーフを描いてください。〔……〕接吻も愛しあう男女も禁物、ということです。〔……〕どこかの風景を描いてくださるのが一番よいのではないでしょうか。」

とは言っても、ルーベンスも愛娘を描いた絵は自身が楽しみながら描いたと言われるだけあり、小さい絵なのだけれども、息づかいが聞こえてくるようでこちらも感動的だった。


ピーテル・パウル・ルーベンス 「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」

そして、ムンクもお酒に溺れた時代の絵で、かなり雑に見える他と異なったタッチの絵が一点あった。ルーベンスのように常に一定の品質を保った絵を描き上げていたわけではないので、というか時代によって作風が非常に変化するために、人工知能も確かにムンク作品の分析に苦戦しただろうなと思う。(ちなみに、例の帽子の絵は今回は展示されていなかった。太陽の絵は一枚あって本当に力強かった。)

ムンクは版画、ルーベンスは工房に任せるという、制作に一部オートメーションを取り入れていた。AIとアートの関係はこれから整理されていくのだろうけれども、芸術はやはり人間ありきで、AIはあくまツールの立ち位置なのだろう、でなければ単純に面白くない。

ムンクの時代は既にカメラが発明されていたので、おそらくは現在のAIと同様に、カメラ撮影が普及すれば肖像画や絵画の仕事は全てカメラに奪われてしまい無用になる、と言った懸念はあったと思う。しかし、ムンクは写真を元に絵を描き上げたり、セルフポートレート、いまでいう自撮りに凝っており、残した言葉曰く

「カメラが筆とパレットに勝ることはない。それが天国か地獄かで使われない限りは」


エドヴァルド・ムンク「Self-Portrait in Hell(地獄で描いた自画像)」

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