1.人生100年時代説vs人類は不老不死になる説まとめ
・100年人生は現実的だが悲観的に発想が小さくなる可能性がある
・不老不死人生は妄想的だが常に前向きな姿勢でいられるメリットがある
・ライフプランは悲観的に100年人生思想、日々の生活楽観的に不老不死思想が一種の理想
2.死なない人生を考えて見る事
人間は不老不死になれる説を強調しすぎて、最近は科学者よりスピリチュアル系な人として紹介される事も多いレイ・カーツワイルだが、前回の投稿「レイ・カーツワイルの人間が不老不死になる説」で私が理解した所のギャップを整理できた。
レイ・カーツワイルが人間が不老不死になれる説を唱えているのは、人類が種としてそれを目指しているからであって、ギャップは達成レベルと達成時期の問題。収穫加速の法則と言って、「重要な発明は他の発明と結び付き、次の重要な発明の登場までの期間を短縮する」という法則を発表した人でもあるので、発明の速度について常人より早く見積もっているからなのだろう。
それとまぁ、ライフシフトが提唱するような100年人生は真面目に考えると中々キツイ。金銭的な心配、肉体的な心配、老後については不確定な事が多すぎるから色々な事を気にしなければならず、定年後もずっと働かなくてはいけないのかな?年金は大丈夫なのかな?などなど心配事が増えてしまうのだ。
しかし、そこを突き抜けてしまって、もし、人間が不老不死になるとしたら?を考えると、シンギュラリティ的な根本的な発想の転換が必要になって中々楽しい。
100年人生思想は現実的だがそこで止めると発想が終末指向になり少し暗い気分になってしまうが、不老不死思想は妄想的なのかもしれないが発想が発展指向になり悪くないのだ。
「今更~」とか「もう年だし」のようなネガティブな考えが浮かんでも「でも俺、死なないかもしれないし」と考えると妥協や現状維持的思想にしがみつかせる事ができなくなる。なので、レイ・カーツワイルを熱狂的に支持するシンギュラリアンの人達の中には「そう考える方が楽しいから」と思って支持している人たちもいるのかな、と思う。
レイ・カーツワイル自身は1日に200錠ものサプリメントを摂取したり、毎日のように栄養注射を行ったり、長寿化技術が発明されるまで生き延びようと努力しているそうなのだけれども、結構その生活はツライと著書で愚痴ったりしていて、中々に人間臭い。
人工知能の研究に真面目に取り組んでいて、世にはばかる人工知能脅威論を苦々しく思っている人たちの中には、レイ・カーツワイルが良くわけのわからない事を言って煽っていると感じている人もいるかもしれないけれども、人間が不老不死の存在になる前提で夢想してみるのは思考実験として悪くないのでたまに考えてみるのはオススメです。
個人的には不老不死的に生きる事に魅力を感じているわけではないのだけれども、ライフプランは悲観的に100年人生思想で堅実に設計し、日々の生活は不老不死思想で楽観的に生きていく、くらいがバランスが取れているのかもしれないですね。
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