1.レイ・カーツワイルの人間が不老不死になる説まとめ
・人類は歴史的に見て老化や死を克服する方向性に努力をしている
・達成レベルや時期はカーツワイルの予言と異なるかもしれない
・しかし、不老不死への人類努力は止まらないのであればいずれ実現する
2.ホモサピエンスは不老不死を目指す
まだ読書完了していないのだが、サピエンス全史を書いたユヴァル・ノア・ハラリの新著、ホモ・デウスを読んでいて何となく、レイ・カーツワイルが人間が不老不死になる説を唱えている理由がわかったような気がする。
レイ・カーツワイルは、人工知能研究の世界的権威であり、技術的特異点(シンギュラリティ)の概念を世間に広めた事で有名な人。同時にシンギュラリティが起こると現時点では想像もできないような事が起こる、例えば人間は不老不死の存在になる、なんて将来予想を語っており、テクノロジー超楽観主義者と批判される事もある人。
個人的には「とても頭の良い人だけれども、頭が良すぎて結構トンデモ科学的な領域に足を踏み込んでしまった人」の印象を持っていたのだけれども、ホモデウスを読んで印象が変わった。あいからず、ユヴァル・ノア・ハラリの本はとっても俯瞰した視線で人類史を見ているので面白い。
まず、人類は統一された意志を持っているわけではないけれども、俯瞰した目で目指している方向を見てみると、老化や死を克服しようとしている事は間違いない。
「老化や死を克服」と書くとおどろおどろしいけれども、例えば、老眼鏡やサプリメントなども、見かたによっては、老化を克服する行為と見なせるし、輸血や病院は死を克服する行為と見なせるのだ。
つまり、実は私も含めて「不老不死など求めていない」と言う人であっても、大なり小なり老化や死に対して抗っているのだ。
老眼鏡やサプリメントから遺伝子治療や人間と機械を接続するサイバネティクス、超人工知能などの間には相当なギャップがあるけれども、本質的に「老化や死を克服するためのホモ・サピエンスの努力」であり、そこに線引きは難しい。ココまではOK、コレ以上はNG、と明確な線引きが出来ない限り、それをやる人はいるだろうし、それをやる人がいる限り、人類は止まらないだろう。
現在の世の中では、宗教上の理由などがある人達でなければ、老眼鏡やサプリメント、輸血や病院を受け入れない事は奇異な事と見なされるが、どこまでが人の子の努力の領域で、どこからが神の御心の領域なのか?どうしても健康な子供が欲しいと望む夫婦は遺伝子治療は神の領域なので実施すべきではない、と言われて納得するのだろうか?
また、美容整形などは最近はプチ整形などと、生まれた時の容姿に人工的に手を加える事は昔よりタブーと見なされなくなってきている。美容整形に否定的な人であっても、カツラや植毛、育毛剤についてはどうだろうか?人類は神の御心のままにソレを受け入れるべしと言われて納得する人はいるのだろうか?それでは、子供に薄毛遺伝子が伝わらないようにしてあげたいと言う親心を止める事はできるだろうか?
技術革新と意識の変化はおそらく止まらない、止める事が出来ない。それゆえ、不老不死の実現は、何十年という単位で考えると実現を肯定するのは難しいが、何百年/何千年という単位で考えると逆に実現を否定する事が難しくなる。何故なら「ある時点でホモ・サピエンスは老化や死を克服するための努力を一切しなくなる」事に繋がるからだ。
そして、カーツワイルは、ヒトゲノム解析プロジェクトが最初の1%を解析するのに7年かかった時に、単純計算で終了まで700年かかるとの声もあるなか、ムーアの法則のように倍々ゲームで効率が上がっていくから、1年目1%、2年目2%、3年目4%・・・と7年目にそれが完了するはず、と予言をし、それを当てた人なのだ。
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