1.ラッダイト運動について思う事まとめ
・「これから10年以内になくなる仕事」というタイトルで定期的に話題になる論文から10年が経過した
・論文内で代替される可能性は低いとされていたは創造的な業務や社会的知性は既にもうすぐ代替されそう
・AIを作る側には回るのは難しくても使う側にまわる事は心掛け次第で出来るので適応していくしかない
2.ラッダイト運動とは?
現在、昔の投稿記事のカテゴリを少しずつ見直しているのですが、当初はもう少しファイナンシャルプランナー寄りのライフプラン関係の記事が増える予定だった事を思い出しました。
AIの進化の速度があまりに早いので、AI情報専門サイト化してますが、元々は「AIは人間の職を奪うのか?」と言うテーマについても勉強をしたく思っていて、ほとんど記事にはしませんでしたが、ベーシックインカムについて書かれた本を片っ端から読んだ事を思い出し、久しぶりにライフプランカテゴリの記事を書いてみました。
「これから10年以内になくなる仕事」という話は定期的に話題にはなりますが、一番話題になったのは2013年のオックスフォード大学のCarl Benedikt FreyさんとMichael A. Osborneさんによる論文「The Future of Employment」だと思います。
この論文は「アメリカでは今後10~20年間に47%の職業がなくなる可能性がある!」といった文脈で引用される事が多く、2015年には日本の場合も49%の職業がなくなる可能性があるという後続研究が発表されているのですが、この元論文が発表されてから10年が経ちました。
それゆえ「仕事がなくなるなんて事はなかったではないか!」と思っている方もおられるようなのですが、私もあの論文には予測出来てない部分があったと思います。
あの論文内にはこう書かれていました。
「複雑な認識や操作が必要な業務、創造的な知性が必要な業務、社会的知性が必要な業務を含む職業は、今後10年〜20年の間に、コンピュータ資本によって代替される可能性は低い」
イラスト生成AIのStable Diffusion、人間とリアルタイムで知的なチャットができるchatGPT、様々な言語のプログムのコード/テストを書けるGithub Copilot、曖昧な指示を元にロボット制御を可能にするPaLM-SayCanなどの直近の進化を見ていると後10年間、私達人類が創造的と思われていた分野で人工知能に対して優位を保てるとは到底思えません。
タイトルのラッダイト運動は産業革命時に、紡績機械の普及に失業のおそれを感じた手工業者・労働者が起こしたイギリスの機械打ちこわし運動です。
AIや新技術に対する脅威論に対して「人類は産業革命だって乗り越えたのだから、AI革命だって乗り越える事が出来る!現代のラッダイト運動のような事はすべきではない!」という文脈で言われる事が多いです。
一理ある意見とは思うのですが、ただ、差し迫った失業の脅威を感じている人にとっては、突然、人類目線で語られても「あなたは飢え死にする、もしくは、路頭に迷って大変な苦労をする事になるかもしれませんが、人類全体としてはオッケーなんで、気にすべきではない!」と言われているように感じるだろうな、とも思います。
私達には生存者バイアスがかかっています。
つまり、ご先祖様が何とかして産業革命を乗り越えてくれたから、今現在の私が存在しているのであって、おそらくはラッダイト運動に身を投じた人や、時代の変化に何ら対処せずに傍観した人、色々な人がいたはずで、私達自身が激動の世界情勢の中、ご先祖様のように上手くやっていける保証はないわけです。
Google AnalyticsによればWebbigdataの読者は若い方が多いので、若いうちから熱心にAIの勉強をしている方は、就職先に困る事なんて事は考えられないでしょうから、あんまり今回のお話は響かないかもしれません。
しかし、今や人生100年時代です。人生は本当に長くてマラソンのようなものなので、様々な理由で仕事に全力を出せない時期がやってくる事はあり得ます。直近の米国の巨大IT企業、Google、Amazon、Microsoft、Meta、Twitter、SaleForce等々の勝ち組企業の突然の人員削減を見ていると、社会に出た後も人生は波乱万丈な事を改めて実感します。更には貴方自身が大丈夫であっても身内が困った事態に陥るという事もあり得ます。
職や収入は個人に関する事であり、世界目線や国目線、他人事目線ではなく自分目線で考えた方がベターです。自分が今までの人生で懸命に打ち込んできたことが突然無価値になるかもしれない、圧倒的な存在によって問答無用に自分の居場所が奪われるかもしれない、その悲しみ、恐れ、怒り、衝撃は少し想像力を働かせれば十分に共感できるものです。
AI関連に携わっている身としては、正確な現状認識に基づかないAI脅威論に辟易する気持ちは当然あり、問題はAIだけではなく「自動化」という世界的潮流なので、AIだけを規制しても意味がないとは思っていますが、私はラッダイト運動そのものについては否定的には見ていないのです。
何故なら、彼らは行動を起こして戦って、歴史にその名を刻んだからです。
人は変化を嫌う生き物です。何ら行動を起こさずに産業革命を乗り越えられなかった人の方が多いはずです。
とはいえ、現代のラッダイト運動に賛同しているかというとそうではなくて、何故なら、歴史に学べば、ラッダイト運動は結局のところ、命がけで戦っても技術の進歩を止める事はできなかったからです。なので、変化と戦う人、変化を傍観する人、変化を受け入れて乗り越えようとする人、の三択では乗り越える事を選ぶしかないのかな、と思っています。
相当恵まれた環境でなければ傍観者のまま、無傷にこの大変革時代を乗り切る事はできないでしょう。現時点での私なりのAI革命に対する解決策は、やっぱり積極的にAIを作る側/使う側にまわる事でAI革命に対処していくしかないのかな、と思っています。
AIにあまり詳しくない方がこの文章を読んだら「でもAIに詳しい人達は大丈夫でしょうから良いじゃないですか」と感想を持つかもしれませんが、ちょっと違うんです。
真剣にAIを知れば知るほど、自分のやっている事も将来的にAIで代替出来るようになるだろうとの確信は逆に深まっていきますし、直近話題になっているAI検索が主流になれば本サイトも役目を終える事になるかもしれません。
しかし、AIを作る側に回るのはそんな簡単にはいかないかもしれませんが、使う側にまわる事は心掛け次第で出来るはずです。
私自身も含め、人は自分の得意な分野に関してはAIに負けたくないという気持ちが働くため、AI製品を取り入れる事に消極的になりがちです。そこでどれだけ柔軟性、適応力を発揮できるかが、AI革命を乗り切れるか否かの分かれ道になっていくのだろうな、と今は思っています。